ページ移転のお知らせ

グロビジは以下に移転しました

コチラに移転しました。

(新しい移転先)http://g-biz.asia/

昨日、バンコク中心部にて反政府デモ隊行進中に爆発騒ぎがあり、30名以上が負傷。今回のクーデターで最大規模の被害が出ました。過去の記事でクーデターの可能性に言及していますが、ちょうどKT-ZMICO社のニュースレターに2006年の軍事クーデターのレポートが出ましたので、翻訳したものを紹介いたします。

過去、軍によるクーデターは10度発生

バンコク封鎖、2006年のクーデターを振り返る
(2006年の軍事クーデター 出所: msn News)

私たちは、過去の軍事クーデターでどんな経済的影響があったかを調査しました。この問題に焦点を当てるなら、タイの軍事クーデターの事実、特に直近の2006年に着目しなければなりません。タイ国内での軍事クーデターは初めてではなく、82年におよぶタイの民主主義において既10回近く発生しています。

タイ経済への影響は、経済指標から読み取れない

しかしながら、クーデターが経済に及ぼした影響は、データから読み取ることが難しいのです。たとえば、年間のGDPデータは1952年まで遡らなければ記録されていない。GDPの数字から読み取るだけでは不十分です。それゆえ、ここでは2006年のクーデター時の、似たような経済基盤や重要事項のデータに着目しました。我々は軍事政権時代を、幅広い視点からタイを観察しています。

2006年、軍事クーデターからの再生

2006年初頭、人民民主連合(PAD)や反タクシン政権派「黄シャツ」による反政府デモが繰り広げられ、参加者たちは腐敗政治を非難した。時間の経過とともにその重圧が減少するとともに、政府は議会を解散。総選挙を2006年4月2日に実施。しかしながら、野党の民主党が占拠をボイコットしたため、議会は開催されなかった。憲法裁判所は4月の選挙を無効と判断、再選挙を同年10月に実施すると発表した。

しかしながら、再選挙は結局行われなかった。9月19日夕刻、タクシンが国際連盟の会議に参加するためニューヨークを訪問している虚を突き、タイ国陸軍総司令官Sonthi Boonyaratglin主導でタクシン政府に対し軍事クーデターを決行、再選挙を撤回し、旧政権での法律を無力化。

暫定軍事政権は旧政権と会合を開き、10月1日にSurayud Chulanont 大将を臨時首相へ据えた。連立政権は1年後の2007年12月23日に開催された総選挙の前まで存続。最終的に、2008年1月29日から選挙に勝利したサマック政権が誕生した。

(付記)2006年に発生した軍事クーデターの事例を振り返りました。経済面を見ると、当初国内経済成長はマイナス想定だったが、年後半に入って急速に回復。繰り返しますが、我々の見解は軍の介入を予測しているというわけでは無いことを強調しておきます。
 (出所:KT-ZMICO社ニュースレター 筆者翻訳、要約)

<関連記事>

にほんブログ村 株ブログ オフショア投資へ

ブログには書かない、日常の気づきを書いてます!
板野雅由 Twitterアカウント

follow us in feedly このエントリーをはてなブックマークに追加
タイ不動産のグローバルビジネスネットワーク
ミャンマー情報、『Myanmar Business Today 日本語版』




同じカテゴリー(ASEAN時事)の記事

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。